妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)に復元された高床式建物、そして後方に孝霊山(高麗山)の西側稜線、そしてさらに後方に大山が見えています。 日本海をまぢかに望む標高100〜150mの妻木晩田山に、弥生後期の大集落と四隅突出墓を含む墓地が築かれていました。遺跡の規模は約170ha。弥生時代の国史跡のなかでは最大規模。発掘調査をしたのは全体の約1割(約16ha)ですが、そこでみつかった建物跡は約900軒、墳墓群は30数基に及びます。エリアごとに形成された遺跡を検証してみると、ここが、まさに山の上の「計画都市」だったことが判ります。 何故、山の上に? この都市が形成された理由を探ると、いろいろなものが見えてきそうですね。そう、大山との関係も。(I) |