大山寺の地蔵が雪化粧をし、雪の法衣を纏(まと)っているようでした。この季節ならではの特別仕立ての衣装です。 大山は寺伝によると奈良時代(718年)に開かれ、その後修験道の聖地、地蔵信仰の中心的な寺院として鎌倉時代前後から近代まで栄えました。 江戸時代になると地蔵信仰は農村の道祖神信仰と合体し、村境いや峠に地蔵が祀られ、安全や病気を防ぐとの地蔵信仰が広まりました。村の境にあり人々が交流するところから「縁結び」となり「子育て」へと発展し、さらに亡き子が三途の川を渡るため岸辺で積む小石を蹴散らかす鬼から守る仏と崇められ、「子供を守る」となり今日のような「地蔵信仰」となったということです。又、遊びとしての「地蔵盆」も盛んとなり、農耕の守護神としての地蔵信仰も卓越していたということです。 そんなこんなで、江戸時代の大山寺本尊の大智明権現は神と仏の霊力を併せ備えた菩薩として崇められ、農業を助け、牛馬を守護し、また雨乞いの山として広く農民の信仰を集め、その氏子は七カ国にも及んだといわれています。 当時は寺領が三千石ということで、中国地方最大の寺院として隆盛を極めました。 雪の法衣を纏った地蔵を見ていると・・・その歴史を知りたくなりました。(I) |