夕暮れでパープル(紫)にけむる米子の街と大山の遠望。 この方向から見る大山の山容は米子、安来、松江市民には馴染みのあるものです。(撮影場所のほぼ延長線上に出雲の国・安来、松江市がありますから) 古より「伯耆富士」「出雲富士」と呼ばれてきましたが、文字通り富士山の山容に似ています。(もちろん標高はかなりちがいますが・・・) この表現「伯耆富士」「出雲富士」は江戸時代の初期から使われていたようです。 古書によると、1685年夏に山陰地方に来遊した伊勢の俳人・大淀三千風が大山を「伯耆富士」と最初に俳諧に詠んだということですが・・・。 松江では「伯耆富士 松江の夏に 蓋(ふた)すれり」と、大山では「伯耆富士 白砂雪吹(ふぶき)て 夏もなし」と詠んでいます。 当時の情景が脳裏に浮かんでくるようです。(I) |