江島と美保関町を結ぶ森山堤防道路からの大山遠望。左は工事中の江島大橋。 この堤防道路の東側は海で境水道・日本海につながり、西側は汽水湖状態になっている問題の本庄工区です。 このあたりから(中海北岸)、縄文時代前期(今から6000年前)の遺跡が見つかっていますが、そのころから大山の眺望も素晴らしい、住みやすい場所だったのでしょう。 中海・宍道湖は、後氷期の環境変化のなかで形成されてきたといわれていますが、約6,000年前の縄文海進の前後から、海面はほぼ現在の状態に近づき、この時期から中海・宍道湖の沿岸において人々の活動が活発になったといわれています。 縄文時代前期以降、中海・宍道湖周辺地域は、遺跡の集中地域となっており、この地域が、当地方において拠点の一つとなっていくことを示しているようです。 また、日本海を舞台にした交流が活発化する時期でもあったようで、縄文土器(松江・西川津で発見のもの)は、同じような模様をもつものが、山陰〜九州〜朝鮮半島等で出土しています。これは、丸木舟を使った人の移動を物語っているということです。 大山周辺では弥生遺跡の発掘が相次ぎ、弥生時代のことが話題になりがちですが、たまには縄文時代のことも話題にしたいですね。また、ちがったものが見えてくるような気がします。(I) |