大山王国 霊山をひともく
豊かな自然を誇る大山。
その雄大な美しさのかげには長い歴史が秘められ、
僧兵や先人たちの夢の跡がある。
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国重要文化財に指定されている阿弥陀堂 |
大館禅雄さん
天台宗別格本山大山寺住職。
環境庁自然公園指導員も務め、
大山を訪れる人々にその歴史と文化を紹介している
長い歴史をもつ「神在す山」
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歴史を今も息づかせる地蔵 |
古くは「大神岳」と呼ばれていた大山の大山の夜は深く、早朝になると神秘的な霞がたちこめ、人の世と思えぬ空気に包まれる。
「大山には、祖先の霊が集まると信じられていたんですよ」と語るのは歴史に詳しい洞明院の大館禅雄さん。人々は大山を「神在す山」として畏れ崇め、大山が見える地域の里人たちは朝晩、大山に向かって手を合わせて拝んだという。
「とりわけ山陽方面の農村では、一生に一度は伊勢参りを願っていましたが、その前に奥参りといって、出雲大社、美保神社、そして大山参りが念願とされました」
大山の道々には里人たちが寄進した地蔵が今も残っている。手を合わせると、大山を心の寄り所とした気持ちが伝わってくるようだ。
大山には三千人もの僧兵がいた
山岳信仰の山として、大山は1300年前、奈良時代の養老年間に開かれたといわれる。初めは山の霊気にひかれた行者たちの荒修行の場であったが、平安時代になると天台宗の高僧によって寺院が次々と建立されるようになった。
こうして霊験あらたかな山として僧たちが集まり、平安から鎌倉時代にかけて、大山は隆盛をきわめていく。一時は寺院の総数は100を数え、「大山僧兵三千人」とも言われるほどの勢力を持つまでになったという。
「ただ、この時代は勢力争いによる火事も多く、古い文書や寺宝が失われたのは残念です」と大館さん。
たしかに大山の歴史には未知の分野が多く、あらたな研究が待たれるところだが、それでも苔むした参道や大山寺、大神山神社などの古寺に立つと華やかな中世の歴史がしのばれる。 | | |
弥山禅定を継承する「大山古式祭」の 行われる大神山神社奥院 | | 大神山神社参道入口 |
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今でも香のかおりが絶えない大山寺 | | 大館さんが暮らす自坊洞明院 |
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大山の貴重な文化財を保存展示している宝物館(霊寳閣) | | 大山の歴史や自然を学べる大山自然科学館 |
明治まで禁止されていた登山
今でこそ大山登山は盛んに行われているが、神格化されていた大山は汚れた者が登って踏み荒らすと神のたたりがあると考えられ、登山は御法度として禁止されていた。
「登山が許されていたのは毎年一度、弥山禅定という修行が行われるときだけでた。弥山禅定は阿弥陀堂にこもって写経した僧二人が、前年に登った僧につきそわれて頂上の弥山に登り、池のほとりにある経筒にその写経を入れるという神事です」
そして、明治時代の排仏毀釈により登山の禁止も解かれることとなる。大山を歩くとき、登山に挑むとき、そこに秘められた歴史をふりかえると、また違った大山が見えてくることだろう。